じつは、私は勉強という言葉が好きではありません。
このブログでも、ほとんど勉強という言葉を使ったことはないと思います。
なぜ好きじゃない、端的に言えば嫌いなのかというと
小学校の授業までさかのぼります。
当時の担任から、何かの折に
「勉強という言葉は “勉めて強いる”という語源なんだ。」
という説明を聞いてからです。
勉強とは強いられてやるもの、という説明だったと思います。
そのため子供心に、勉強っていうのは辛い事なんだ・・と
刷り込まれました。
私の母親からも、何かにつけ「勉強しなさい」と言われ
机に向かっている姿を見れば何も言わない母で
ともかくも「勉強」が嫌いな私は
自宅でも教科書の下に本を隠して読んでいる・・
そんな子供時代でした。
だから大人になり
何か習得したいと思った時も
「勉強」という言葉を使わずに
「学び」などに置き換えていました。
そんな年月が相当積み重なり、
最初に刷り込まれた意味があっているのだろうか?と突然気になり
ネットで語源を調べてみました。
すると、私の思っていた解釈と違うものが出てきました。
要約すると、
ー学んで「道」を知ること、
全ての人にとって「道」切り拓くことを可能にする営為が
「勉強」である。
とありました。
決して苦しく辛い行為のことではなかったのです。
(理解し習得するには苦労があるとは思いますが)
これを知った時、
なるほど!!と思い自分の中で上書きをしたつもりですが
あまりにも長い年月、「勉強」という言葉に抵抗してきたため
なかなか思考の癖を直せませんが
それでも「勉強」という言葉を受けたときの抵抗感はなくなりつつあります。
正直、このレベルの言葉であれば
どう表現するかというのは大した問題ではなく
その言葉の奥にある“すべきことの真意”を掴むことのほうが大切です。
大切なのは、表面に見えるものではなく
その奥にあるものですよね。
以前からファイルしたり書き留めていたものを整理していて
ふと「勉強」という言葉が目に留まり
取り上げてみました。
前にも書きましたが
私の悪い癖は、早飲み込みと熟考する前に即断してしまうところです。
今年は特に気を付けて、しっかり物事と向き合っていきたいと思います。
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