チューリップ畑

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プライドとは

時々こちらでも

「つまらないプライドはいらない」

と書いたことがあるので、

またその話か?と思われるかもしれませんが

この、プライドも相当厄介なものなので

またそのお話です。

 

私自身

プライドという言葉を知った時、

なんて素敵な、そして重要なことなんだろう!と

思いました。

自分にとってのプライドとは、

絶対に譲れない信念のようなもので、

それがあればこそ、生きていける・・・

絶対に手放してはいけないし

誰にも汚されないよう守るべきもの。

そう思って悲しいとき苦しいときも

歯を食いしばって、反発して生きてきました。

 

でも、今となっては

それは本当は必要ないものだということを知りました。

 

なぜなら、たいていの場合

プライドとは自我を守るもので

誰かと相対するときに顔を出すからです。

 

何か諍いが起こるとき、

相手が間違っている、自分は正しい、

そういう「理由」一つに

守るべきものとしてプライドという言葉が

出てくるのではないでしょうか。

 

でも、その多くの場合

プライドという言葉で現されるものは

明白な実態はなく、

ぼんやりとした自分を守るための盾として

使っていることが多いように思います。

 

プライドという言葉で覆い隠したその奥には

自覚していなくとも自我が隠れていることが

ほとんどです。

 

何かトラブルがあった時、すべきことは

プライドを守ることではなく、

自分の感情を荒立てる

その要因を探ることです。

それを無視して、プライドという言葉で覆い隠してしまったら

この先も、永遠に解決することはできません。

 

誰もが求めているのは

心安らかな毎日で、生き生きと過ごすことだと思います。

そのためには、自分の心を荒立てる要因を

一つ一つ無くしていく必要がありますが、

その作業を邪魔するのが「プライド」なのです。

 

自分のプライドの正体を見抜くのは

骨が折れる大変な作業です。

でも些細なことでも、一つ一つ見つめていけば

糸口が見えてきます。

 

嫌なことや悲しいことがあったら

いったんはその感情に身を任せ、

その思いが冷めかけてきたときに、

なぜ自分がそんな思いになってしまったのか?

自分と相手の行動や反応を見返してみると

分かることがあるはずです。

 

どちらにしても

「つまらないプライド」は邪魔になるだけです。

日々、いろいろなところで自分と向き合うことが大切だと思います。

 

 

 

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2024.12.24